歴史ガイドブック「ぶらり・きみの歴史たび」について

更新日:2023年01月17日

ぶらり・きみの歴史たび

 

この度、紀美野町まちづくり推進協議会の紀美野史発見部会では、町民の郷土への誇りと愛着を深め後世へ伝えていくこと、また、町内に残る古い建造物や趣の深い景観などの見どころを町内外問わず多くの方々に知っていただくことを目的に、歴史ガイドブック「ぶらり・きみの歴史たび」を制作しました。

紀美野町には、明治維新までは野上地区が紀州藩領、美里地区は高野山寺領という歴史があり、それぞれ特色のある風物が残っています。当ガイドブックでは、その中で気軽に訪れやすいところを選んで、簡単に解説しています。

ふるさとの豊かな自然に身を置き、ご先祖や先輩たちの暮らしの足跡をたどってみるのはいかがでしょうか?

 

■地図について

各スポットが掲載された地図は、こちら(Googleマップ)からご覧いただけます。

■その他見どころについて

紀美野町には、このガイドブックに掲載されている他にも数多くの見どころが存在します。紀美野町の観光リーフレットはこちらの観光ページをご覧ください。

 

■紀美野町の成り立ちについて

紀美野町は、平成18年1月1日に野上町と美里町が合併した町です。

野上地域は、石清水八幡宮の所領である野上荘として存在し、野上八幡宮を中心として歩んできました。江戸時代に入ると、紀州徳川家領地となり、領主の狩場や休憩所が設けられていたと言われています。野上八幡宮には、昭和2年(1927年)まで多宝塔が立っていましたが、東南院(奈良県吉野町)に移築されています。また、八幡宮には祭礼具などの神事に関するものとともに経典や仏具などの仏教にかかわるものも伝えられており、野上荘の繁栄がうかがえます。また、小川地区の一部及び志賀野地区は、高野山領地として高野山真言宗文化が残る地域です。

美里地域は、平安時代、康治2年(1143年)に描かれた紀伊国神野真国荘絵図にあるように、上皇をはじめとする朝廷有力者の荘園から神護寺所領となり、その後、隣接する国吉地区および長谷毛原地区とともに高野山領地となって明治の廃藩置県まで存続してきました。従って、高野山真言宗に係る寺院や神社が数多く存在しています。

このように、紀美野町の歴史は、中世の荘園から成り立っていて中央政権との深い繋がりがあった地域と思われ、それぞれ特色のある風物が残っています。

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